映画

映画「月光ノ仮面」

WOWWOWでやっていた板尾創路監督作品の映画「月光ノ仮面」を見ましたのでストーリーと感想を書きたいと思います。。

※思いっきりネタバレを含みますので、ご注意を。

さて、ストーリーは、よれよれの軍服姿で顔に包帯を巻いた男(板尾創路)が、街にやって来るところから始まります。男は寄席に紛れ込んでつまみ出されるのですが、そのとき、男が落としたお守りを見た、落語家、天楽の娘の弥生(石原さとみ)は、徴兵され戦地で死んだと思われていた落語家の森乃家うさぎ(本名、岡本太郎w)だと言い、家に連れて帰ります。

天楽は、包帯で顔がよく分からない上に何もしゃべらない男のことを、本当に森乃家うさぎかと疑いますが、医者の健忘症という言葉を信じて、男を自分のうちに住まわせることにします。

太郎と弥生は太郎が戦地に赴く前、将来を誓い会った仲であり、弥生は、太郎が帰って来たことをうれしく思いながらも、お守りだけでは確信が持てないでいました。そこで、ある夜、かつて、別れ際にお守りを渡した神社に太郎を連れて行き、お守りを見せて「あなたは、落語家森乃家うさぎなんでしょ、そして私が何より帰りを望んだ岡本太郎さんなんでしょ」と言い手を握ります。

太郎は、無言のまま弥生の手を引くと、神社の後ろの竹林の中へ連れて行き、そこで、弥生を押し倒して抱こうとします。突然のことに激しく抵抗する弥生。あたりは暗く近くには誰もいません。しばらく抗っているうちに太郎の包帯が取れて、その顔が、月の光に照らされると、顔の右半分に大きな傷があるのがわかり、弥生はその傷を見て、いたわるように手でそっと太郎の頬に触れます。すると、太郎はおもむろに軍服とシャツを脱いでタンクトップ姿の上半身をあらわにします。その肩には大きなアザがあり、それを見て、弥生は太郎だと確信し、身を任せこう言います「お帰りなさい太郎さん」。

このシーン、ネットのニュースサイト等で、石原さとみラブシーンに挑戦とか濡れ場とか書かれていたところだと思いますが、太郎の手で弥生の着物の帯がほどかれて行き、太郎の愛撫に身もだえする弥生の着物の裾が次第にはだけて太ももがあらわになっていく姿はかなり扇情的です。さすがに胸を触ったり股間に手をやったりとかは無かったですが、太ももはしっかりと触ってましたね板尾監督。凸(-_-メ)

漫才ギャングの時も思いましたが、石原さとみのこういうシーン、芸人監督は、取りたくて仕方無いんでしょうね。

さて、話の本筋に戻りますが、師匠の天楽は、弥生の「あの人の中に、森乃家うさぎは生きています」という言葉に、取りあえず記憶を取り戻すまで森乃家子鮭を名乗らせ、他の噺家の前座として高座にあげることにします。しかし、落語などできるわけもなく、なぜかコントまがいのことをして客を笑わす太郎に、天楽もやはり無理だと思い、しばらく母親のところへ行くように言います。(母親の名前は岡本孝子w)

太郎が実家に帰る前に、神社の前で弥生が「また帰って来てね」と太郎にお願いする場面があり、太郎はそれには答えず、無言で、躊躇する弥生を竹林の奥へ連れて行きます。このときは、ラブシーンの描写はありませんが、二人が何度も愛をかわしていることをうかがわせます。

太郎が実家に帰っている間に、ある男が街にやってきます。その男こそ本当の岡本太郎(浅野忠信)なのでした。

実は偽太郎(板尾)と太郎(浅野)は戦場で戦友として一緒に戦っており、爆撃を受けて、瀕死の太郎(浅野)から、お守りを渡されていたのです。偽太郎(板尾)は記憶喪失と勘違いされたことをいいことに、噺家、森乃家うさぎの振りをしていたのでした。

本物の太郎(浅野)の出現に動揺する弥生、よりによって愛する人と別人を間違えて身を任せてしまったことに後悔の念を抱きます。しかし、すでに何度か逢瀬を重ねた身、いつの間にか、偽太郎(板尾)を愛してしまっていることに気が付きます。

この辺のさとみちゃんの演技がすばらしくて、太郎(浅野)への罪悪感と偽太郎(板尾)への愛情で板挟みになり、揺れ動く感情が表情からひしひしと伝わってきて、ストーリーに引き込まれます。

太郎(浅野)は、爆弾の破片が喉にささり声を失っていました、そこで、自分の代わりに偽太郎(板尾)を森乃家うさぎとして高座に上がらせて欲しいと、師匠の天楽に手紙で頼みます。太郎(浅野)は自分の許嫁を偽太郎(板尾)が寝取ったとは知らずに、友として信頼していたのでした。

太郎(浅野)はさらに、自分は噺家としては終わってしまったが、他の働き口を探してなんとか食べて行ける様にするので、弥生と結婚したいと手紙で申し込みます。天楽からそれを聞いた弥生は、悲しそうにうつむいて涙を流します。

満月の夜、太郎(浅野)と弥生は、湖畔を散歩しています、ここで弥生が「ここ最近ずっと満月で、欠けることがないの」と言うのですが、まあ、おや!?、と思いますよね。

弥生が止めてあった小さな船に飛び乗り、バランスを崩して池に落ちそうになります、間一髪で太郎(浅野)に手を引かれて助かりますが、代わりに太郎(浅野)が池に落ちてしまいます。おぼれる太郎(浅野)を助けようと、弥生は近くにあったロープを取りますが、絡まっていてなかなかほどけません。最初は慌ててほどこうとしていますが次第にその手が止まり、べートーべンの「月光」が流れる中、溺れる太郎(浅野)の方をただじっと見つめます。その表情からは、「太郎(浅野)がこのままいなくなれば」とそんな心の声が読み取れます。弥生を遠くに見ながら、必死に浮かび上がろうともがくも徐々に沈んでいく太郎(浅野)、そのとき、偽太郎(板尾)が現れ、太郎(浅野)を池から助け出します。我に返った弥生は、太郎(浅野)に駆け寄りますが、気まずい雰囲気になり、俯いて離れてしまいます。

日が変わって、天楽は、一ヶ月後に神田の寄席で一門会を開き、そこで偽太郎(板尾)を森乃家うさぎとして高座に上げること、その後に太郎(浅野)と弥生の祝言を挙げることを弟子たちを集めて発表します。突然の発表にちょっと悲しげに俯く弥生。

ある夜、薄暗い道を、考え込みながら歩く弥生の前に、人力車の車夫の男(森乃家一門お抱えの車夫か?)が現れ、弥生を路地裏の様なところに連れて行き、そこで、「お嬢さん、あっしにできることがあったら何でも手伝うよ」と言います。その男の言葉を聞いた弥生は、何かを決意したような厳しい表情になります。

偽太郎(板尾)が寄席に上がる日、偽太郎(板尾)を送り出した後、いつもの神社で祈る弥生、その目には冷たい光が宿っています。

夜、寄席は森乃家うさぎの久しぶりの復活に沸き立ち超満員状態、高座では弟子たちが次々と落語を披露して行きます。座敷席の後ろに小部屋があり、窓から高座が眺められるようになっているのですが、そこに弥生が居ます。

着物の帯の締め付けを気にするように手でお腹をさわる弥生、愛する人との間に芽生えた命がそこに宿っていることを暗示させるかのように。

そこに、太郎(浅野)がやってきますが、そちらの方をちらりと見て目を伏せてしまう弥生。太郎(浅野)もなにか弥生の態度に違和感を感じながらも席に着きます。

いよいよ、偽太郎(板尾)が高座にあがりますが、その手には風呂敷に包まれた三味線のような形をしたものが握られています。その風呂敷から取り出したのは機関銃で偽太郎(板尾)は客に向けてズダダダダダーン、ズダダダダダーンと口で機関銃の音を発しながら打つ振りをします。客は大受けで、私も打ってと言います。何人かの客に打つ真似をした後、突然、本物の弾丸が客の腹部に命中します。それからは、偽太郎(板尾)はすべての客に向けて機関銃を撃ちます、寄席の中は血しぶきが舞い、阿鼻叫喚かと思いきや、客は撃たれてもみんな笑っています。師匠の天楽や弥生、弟子たちも皆、撃たれていきますが、誰も彼も笑いながら撃たれています。そして太郎(浅野)も眉間に弾丸を受け笑いながら倒れます。

しばらくして銃声がやみ、静寂の中、映し出される寄席の中には血まみれの死体が累々と横たわっています。しかし、なぜか皆、笑った顔で死んでいます。弥生も笑みを浮かべながら口から血を流して死んでいます。満足そうにその様子を眺める、偽太郎(板尾)。

そして、場面が変わると、人力車が1台走っていきます、その人力車に乗っているのはなぜか、死んだはずの太郎(浅野)でした。

おわり

お守りと肩のアザだけで、浅野忠信と板尾創路を間違えるなんてあり得ないというのが、ネットでの大方の感想ですが、これは、画面では似ていないが、実際はそっくりという設定であると思うことにしました。もっとも、当初疑っていた天楽やその弟子たちに、偽太郎(板尾)を太郎であると勘違いさせたのは、すべて弥生の寂しさ故の願望による盲目的な錯誤が発端となっているわけで、原因は弥生じゃん。

天楽「だれだ、最初にうさぎだと言ったのは。破門だ、破門」
弟子たち(・・・・・弥生さんだよ)

それにしても、最後が意味不明ですべてを台無しにしているのが残念です。約2時間の映画で、前半は、ちょっと退屈ですが、本物の太郎(浅野)が帰ってくるあたりからは、さとみちゃんの熱演もあって面白くなったなと思ったのに。さとみちゃんの意味深な表情はなに、車夫に頼んだことは結局なんだったのか。すべてが謎なままで終わってしまいました。

実はラスト意外にも意味不明のシーンがあり、偽太郎(板尾)の元に、タイムマシーンに乗ったドクター中松が現れ、「「私はタイムスリッパーだ」とだけ行って去って行きます。

また、偽太郎(板尾)は、娼館に通い詰めており、そこの娼婦が渡辺直美にそっくりの女なのですが、上半身裸のその女と偽太郎(板尾)が一緒になって、娼館の部屋の床下を掘り進めるシーンが、物語の間、間に挿入されます。何か宝でも埋まっているのかなと思いきや、最後はドクター中松が出てくる始末。

まあ、途中、月がずっと満月で欠けることがないという言葉から、これはひょっとすると死語の世界かなんかなのかとか思ったりしましたが、最後の人力車に乗って去って行くのが、死んだはずの本物の太郎(浅野)だったことからもそういう解釈はできるかと思います。

しかし、ネットで他の方の感想を見ていると、世の中は結局思い通りにならないんだよと言う不条理を描いた作品という解釈もあり、そんなものなのかなとも思ったりします。

まあ、この映画の一番の不条理は、渡辺直美似の娼婦の丸出しのおっぱいより、石原さとみの太ももの方がエロスを感じるというとこなんですが。(いや、当然か)

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