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スペシャルドラマ「恋」感想

12/16に放送された、さとみちゃん主演のスペシャルドラマ「恋」を視聴しましたので、遅ればせながら感想を書きたいと思います。

本ドラマのラストは小池真理子さんの原作とは違っていますが、原作小説も含めてネタバレが有りますのでご注意ください。

と、その前に、「恋」の番宣で出ていた「はなまるマーケット」のさとみちゃんが凄く可愛いかったことに言及しなければなりませんね!。初めてスカッシュをプレーして、キャッキャと、はしゃぎながらプレーする姿も可愛かったです。髪型も少し変えた様で、これが、月9ドラマ「失恋ショコラティエ」の紗絵子のビジュアルかと思うと、ますます放送が楽しみになりました。

はなまるマーケットについては、また、詳しく書きたいと思います。

さて、ドラマの内容は、ほぼ原作通りでしたが、所々違う所もありました。一番大きな違いは、もちろんラストの展開ですが、他にも、原作では矢野布美子に学生運動に没頭する恋人(結局別れる)がいますし、片瀬夫妻と出会ってから布美子が殺人を犯すまでの期間が2年とかなり長いです。この辺は、2時間ドラマの枠内に収めるということで、やむを得ない変更といったところですね。

物語のあらすじは、大学生の矢野布美子が割のいいアルバイト先として訪れた大学教授の片瀬晋太郎(井浦新)と雛子(田中麗奈)の夫婦のもとで、二人のアブノーマルな関係に翻弄され、やがて自らもその倒錯した「恋」に染まっていくが、一人の男が現れたことにより全てが破綻し、やがて4人は、悲劇的な結末を迎えることになるというものです。

まず、このドラマに対する私の解釈を述べたいと思います。この作品のタイトル「恋」、そして、「それは本当の恋だった」というフレーズ、本ドラマでは、倒錯した「恋」がテーマになっていますが、なぜ、「愛」では無く、「恋」だったのか、そう考えて、「恋」と「愛」の違いについて、調べてみました。

その中で、恋とは独りよがりのもので相手のことなど考えず、一方的に求めるもの、愛とは、相手を慈しみ、与えるものという解釈があり、なるほど、この考え方からすると、ドラマの登場人物の感情が「恋」であることがわかります。

片瀬夫妻はどちらかというと晋太郎の方が妻の雛子に「恋」をしており、実の妹とわかっても彼女と別れようとしませんでした。雛子は、出会ったときこそ晋太郎に情熱的な「恋」の感情を抱いていましたが、いつのまにか、その感情が薄れ、ただ官能だけを求めて別の男性に”恋”をしているように見えます。つまり、二人はまだ、”愛”という感情まで到達していない、本当の夫婦になれていないということかなと思いました。その雛子が久保勝也に「恋」をして、それが相思相愛になったとき、晋太郎の元を離れるというのは、むしろ当然だったのかも知れません。この感情が、これまでのように一方的なものなら、晋太郎もあれほど動揺はしなかったのだろうと思います。

一方、矢野布美子は最初、性に奔放な雛子とそれを許している晋太郎の夫婦のありように戸惑いますが、次第に晋太郎に魅かれていき、「恋」をします。小説では、雛子にも「恋」をしているように描写されているのですが、ドラマでは、「雛子は晋太郎の恋する人」だから、晋太郎の一部として雛子に「恋」をしたと取れるような描写だったと思います。さとみちゃんの言う、「夫婦一対で恋をする」ということですね。

そう思う様になったのは、一つは、年老いた矢野布美子(原田美枝子)が病院のベッドで病に苦しむ中、ルポライターの鵜飼三津彦(渡部篤郎)に、片瀬晋太郎の幻を見てキスするシーン。

一つは、初めて晋太郎と口づけをかわした後、窓枠でつぶれていた蛾の死骸が朽ちていくのを、毎日ただボーッと眺めているというシーン。

一つは、ラストの死ぬ間際に片瀬夫妻を訪ねていくシーンで、晋太郎を見たときの布美子の反応です。

晋太郎に対しての「恋」の描写が多彩であるのに対し、雛子に対しては、初めての出会いで雛子にみとれる場面ぐらいで、雛子とのキスシーンは「恋」というより、友情のようなものと感じました。

このため、ドラマでは、片瀬夫妻と矢野布美子の関係性がよりわかりやすくなっていたような気がします。

矢野布美子にとって、本当に「恋」をしていたのは、片瀬晋太郎であり、雛子は晋太郎の想い人として、離れてはならない存在、その雛子を久保に奪われて絶望する晋太郎を見たとき、布美子の取るべき行動は一つしか無かった、以上が、私なりの、このドラマの解釈です。

さて、ここからドラマの感想を書いていきたいと思います。

ドラマの冒頭、桜の花びらが舞う中、さとみちゃん演じる矢野布美子が片瀬夫妻と初めて会うシーンは、美しくどこか幻想的で、これから始まる淡く切ない物語を予感させるものでした。

バーでの、ロカビリーな片瀬晋太郎とサイケデリックな雛子の出会いのシーンはドラマオリジナルですが、物語の核をなす片瀬晋太郎と雛子の「恋」が、如何に情熱的に始まったかを強く印象付ける場面でした。ちょっと笑ってしまいましたけど。(^_^;

片瀬夫妻の邸宅と布美子のアパートは、ちょっと現代的すぎると思いましたが、これはしょうが無いですね。

履き慣れないミニスカートを履かされた布美子が恥ずかしがっってもじもじとスカートの裾を気にしたり、ディナーの後、晋太郎に送られて、アパートの階段を上がる際にスカートの後ろをバッグで隠すように昇っていった所は可愛かったですね。

軽井沢の別荘は、これも現代風ではあるものの、ほぼ私のイメージ通りの建物で、スタッフさんも良く見つけたなと思いました。

別荘での晋太郎と布美子の初めての情事のシーンでは、よっぱらったさとみちゃんの表情が凄い色っぽかったですね。、

ドラマの製作発表当時、この、さとみちゃんと新さんのラブシーンがニュースサイト等ではかなりセンセーショナルに書かれていました。しかし、やはりというか、あまり過激な描写はされていませんでした。それでもさとみちゃんが演じると十分官能的でしたけどね。(*´∀`*)

それより、私が晋太郎と布美子のラブシーンで危惧していたのは、井浦新さんが相手役と言うことで、リチプアファンの私としては真琴が朝比奈さんと浮気しているように見えてしまうのではないかということでした。(^_^;

しかし、実際には、さとみちゃんも新さんも、リチプアの時とはまったく違う雰囲気で、ドラマを視聴中、一度も朝比奈や真琴の事を思い浮かべることはなかったです。特に片瀬晋太郎は、朝比奈恒介よりずっと若く見えました。

あと、このシーンで、誘蛾灯が消える演出は、布美子の処女が散らされる暗喩でしょうか?原作では、布美子には彼氏がいて、初めて晋太郎に抱かれたときは処女ではなかったですが、晋太郎への布美子の想いをより強調するために、そう思わせるような描写をしたのかなと思いました。

晋太郎に猟銃の撃ち方を習っているときの、スナイパーさとみんの獲物を狙う鋭い眼光と、引き金を引いた後の恍惚とした表情も良かったですね。

久保勝也を猟銃で撃つシーンでは、撃つ直前に音楽が流れて、久保が何かを叫んで挑発しているような場面が流れた後、布美子が銃の引き金を引くのですが、ここは、原作のとおり、久保の晋太郎に対する、「ねえ、おにいさん」の言葉に逆上して引き金を引く方が良かったように思います。

久保勝也が撃たれた後にもう一回起き上がる所は、ちょっと笑ってしまいました

ラストのシーンについてですが、原作では矢野布美子は、片瀬夫妻に事件後一度も会うことなく、また、片瀬夫妻の真意も知らないまま亡くなってしまいます。悔恨の情を抱えたまま一人寂しく死んでいく布美子の心に、一筋の光を与えたような、ドラマ版のホっとするラストは、原作での、布美子が亡くなった後、鵜飼がそのことを知るというラストで感じた切ない感動とはまた別の、ほんのり暖かな感動を感じました。

ただ、マルメロの木のくだりは、できれば布美子(と視聴者)が自分で気付くような演出があると良かったかなと思います。植木屋のおじいさんに大きく育ったマルメロの木の写真を見せられる場面を入れて、それを印象深く描いておくとかで、布美子も視聴者も「あっ!」と気付くと、より感動が増したような気がします。

エンディングで、レッドツェッペリンの「天国への階段」の流れるなか、布美子がマルメロの木を大切そうに抱えて草原をゆっくりと歩いているシーンは、情景とマッチした音楽が心に響き、いつまでもこのドラマの余韻に浸りたいと思いました。

スペシャルドラマ「恋」は、さとみちゃんが演じてきた作品の中でも、登場人物の感情が複雑な分、演じるのがとても難しく、さとみちゃんも相当苦労したようです。でも、完成したドラマは、布美子の激情とも言える「恋」の顛末が、美しい風景と叙情的な音楽に彩られて文学的に描かれており、ラストには、ほろりとできる素晴らしいドラマだったと思います。

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